麒麟が来る♪
こんばんは♪
関西生活3年目のゆーやんです😊
皆さん、『麒麟がくる』観ましたか?!
今日最終回を迎えましたね♪
川口春奈さんが代役として出演することになり当初話題となっていましたが、主人公は明智光秀です😊
『明智光秀』どんな印象でしょうか?!
恐らく裏切り者、真面目な秀才肌、3日天下で残念な武将などではないかと思います(^^)
今回の大河ドラマでは天下人となった織田信長が段々と横暴に変わっていく中で信長との関係や理想の世の中への想いに悩む姿が描かれていましたね😊
明智光秀が何故『本能寺の変』を起こしたのかは諸説あり未だに謎ではっきりとしたことは分かっていないそうです。
主な説はこちらです♪😊
①怨念説
②正親町天皇との摩擦説
③長宗我部元親討伐を阻止しようとした説
④徳川家康と結んでいた説
⑤足利義昭黒幕説
⑥イエズス会黒幕説
⑦思い付き説
大河ドラマ『麒麟がくる』では諸説に配慮したのか①〜⑤がうまく織り交ぜられていましたね😊
あくまでもドラマなので真実かどうかは分からないところでもありますし、異論もあるかも知れません(^^)
光秀が仕えていた主君、織田信長は本気で天下統一を目指した人です。
『天下布武』という朱印を使い始めたのが34歳。
光秀はと言うと、出生に関しても諸説あり年齢もはっきりとしたことは分かっていないようですが、信長と出会ったのは『天下布武』の朱印を使い始めた頃のようです。光秀は当時の将軍、足利義昭の家臣でした。
非常に優秀だったようです。
将軍家や朝廷との繋がりもあり武芸にも優れていた光秀を信長は家臣に迎え入れ、外様でありながら織田家の実質No.2まで引き立てます。
柴田勝家、羽柴秀吉らを差し置き、家臣団の中で一番最初に城持ち大名となったのです。
現代の会社組織で例えるなら中途採用で専務か副社長に抜擢されるようなイメージでしょうか?!😊
これに対して光秀は深く感謝し畏敬の念を信長に持っていたようです。
家訓である『明智光秀家中軍法』には次のように記されています。
「瓦礫のように落ちぶれ果てていた自分を召しだしてくれ、そのうえ莫大な人数を預けてくれた。一族家臣は子孫に至るまで信長様への御奉公を忘れてはならない」と記されています。
『本能寺の変』の1年前のことです。
1年の間によっぽどの事があったのでしょうか?!
謀反に至るまでの心境は日本史史上最大の謎ですね😊
『本能寺の変』当日の様子に関して3つの資料があります。
山科言経の記した日記『言経卿記』には本能寺の変について『前右大臣は即時に打死』と書かれているそうです。
前右大臣は信長のことです。
あっという間に死んだということです。
更に本能寺の変当日の様子を『イエズス会日本年報』から伺うことができます。
『門番は謀反を嫌疑せず明智の軍勢はすんなりと本能寺に入った』
光秀の軍は抵抗を受けずに境内に入ったようです。
そして江戸時代に書かれた『川角太閤記』には光秀は信長に中国地方の毛利攻めの前に京都に立ち寄るよう伝えられていたと記されています。
信長は恐らく一緒に中国地方に向かうつもりだったと思われます。
読み取れるのは信長は光秀が謀反を起こすなどとはまったく想像していなかったということです。
意外かも知れませんが、『本能寺の変』がドラマチックに描かれるのは後の権力者や後世の軍記物などの脚色によりドラマ仕立てにされているところが大きいようです。『敵は本能寺にあり』と言う有名なフレーズも現在の研究によると無かったとされています。
直前まで徳川家康を討つものと思っていたという家来の手紙も残っています。
さて、討たれた信長はどんな心境だったのでしょうか?!
窺い知ることは出来ませんが天下布武を目前にして突如としてこの世を去ることは無念だったとは思います。あるいは戦国の世の常として覚悟はしていたのでしょうか?!
いずれにしても織田信長の描いた天下布武の夢は豊臣秀吉に引き継がれ、徳川家康の手によって江戸時代という250年の太平の世が訪れることに繋がります。
明智光秀が描いた未来はどんなものだったのでしょうか?!
中国の歴史書『史記』では、王が仁(徳の一つ)のある治世を行い、穏やかな世になったとき、その王のところに現れる霊獣が『麒麟』なのだそうです。
『麒麟がくる』は麒麟がくる平穏な世の中にしようとする光秀と信長の想いをテーマにした大河ドラマでした😊
今の日本はどうでしょうか?!
戦国時代とまでは言わないまでも過去の価値観が通用しなくなり新しい時代に大きく変わりつつある世の中だと思います😊
こんな中にあって大切なのは『麒麟がくる』のテーマでもあった世の中を良くしようとする志や一人一人の想いなのではないでしょうか?!
そんなことを感じた今回の大河ドラマでした♪😊
さて、ラストシーンが話題になっているそうです。
明智光秀は生きていたという説があります。
後の江戸幕府で徳川家康を補佐する南光坊天海が明智光秀と同一人物だとする説です。
『麒麟がくる』ではその辺に含みを持たせて視聴者に判断を委ねる形で絶妙に終わっていきました😊
謎に包まれているからこそ様々な説が出てくるんですね(^^)
この辺は歴史好きな人には凄くロマンがあって面白い部分かも知れませんね😄
最後に明智光秀が最後に敗れた天王山からの風景を載せておきます。
いい景色ですね😊
関西には歴史的な場所や建物がたくさんあるので実際に足を運んでみたいですね(^^)
異論反論がある内容になったかもですが、
今日はここまで♪
最後までお読み頂いてありがとうございました😊