ゆーやんの大阪生活♪

関東出身ゆーやんの大阪快適生活♪

続・天皇誕生日♪🎌

こんばんは!

関西生活3年目のゆーやんです😊

 

昨日からの続きになります♪😆

 

なぜ天皇は象徴として権威を保ち続けることができたのでしょうか?!という話でした(^o^)

歴史授業みたいなブログです!笑

興味ない方はスルーで!😄

 

本題の前に質問です♪

皆さん、古墳て何だと思いますか?!

天皇を始めとした昔の豪族のお墓と教えられていますよね?!😊

 

例えば大阪の堺にある『大仙陵古墳

仁徳天皇のお墓と言われてきました。

 

百舌鳥・古市古墳群の公式HPの古墳に対しての見解はこちらです。

『集団や社会の力を最も明瞭に誇示するモニュメントとして祖先の墓を築造した、日本列島独自の歴史的段階―すなわち東アジアの政治情勢を反映した古代王権の形成・発展過程―を物語るものです。』

引用HP:

http://www.mozu-furuichi.jp/jp/learn/mozu_furuichi.html

 

お墓を作る目的で古墳を作ったと言っています。

 

ゆーやんは凄く違和感を感じます!笑

答え、というかこうだろうとされている説になりますが、後ほどお答えします😊

 

 

まず、天皇家の成り立ちです😊

日本書紀の記述によれば、天皇家の先祖を辿ると『天照大御神(アマテラスオオミカミ』に行き着きます。

天照大御神の孫が『瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)』です。

この瓊瓊杵尊の時に天孫降臨といって天上界みたいなたころから地上に降り立ったと言われています。今の宮崎県の高千穂地方です。

この瓊瓊杵尊は何の神様だったのでしょうか?!

 

稲作を主とした農業の神様としての性格が強いそうです♪🌾

つまり国を豊かにするために地上に来てくれたのですね😆

 

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引用:写真AP

 

少し時代が降って古墳時代の話になります😊

大阪にはかなりの数の古墳があります。

令和元年に世界遺産に登録された『百舌鳥・古市古墳群』は有名ですね(^^)

 

他にも高槻の『太田茶臼山古墳』、池田の『池田茶臼山古墳』、枚方の『牧野車塚古墳』などです。

かなりマイナーな古墳も多くあります😅

 

『百舌鳥・古市古墳群』の中に冒頭で挙げた世界最大のお墓と言われている仁徳天皇陵(正式名称は大仙陵古墳)があります。

 

この仁徳天皇がどんな天皇だったのかが分かる記述が古事記日本書紀に載っています😆

『民の竈(かまど)』の話として有名です♪

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即位後、高殿から国を見渡した仁徳天皇は、民家のかまどに煙が立っていないのを見て、「これは民が貧しいからである。今、宮に3年分の備蓄があるから、今後3年は徴税を禁じる」と命じた。そのため自身も衣服や履物は破れるまで使用し、屋根の茅が崩れても葺かなかった。3年後、再び高殿から見渡すと、人家の煙は盛んに上っていた。そこで「我は富んだ。素晴らしきこと」と喜ぶと、皇后が「私たちはこんなに惨めな生活をしているのに、どうしてですか?」と聞き返した。すると仁徳天皇は、「まつりごとの基本は民。民が富まねば天子である私も富んだことにはならぬ」と答えた。民に力が戻るとようやく税を解禁し、課役を命じたが、民は大挙して都に集まり、自主的に御殿の造営や納税に励んだ。

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引用:『公益社団法人関西・大阪21世紀協会

https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/021.html

 

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引用:写真AP

 

さて、果たして古墳はお墓を作るために作られたものでしょうか?!

日本書紀の記述が事実だとして、仁徳天皇のような人が自分の権力や威光を誇示するためのお墓を作らせたりするでしょうか?😅

もしそうだとすると相当な重労働を民に強いたことになります💦

 

日本書紀の記述にある仁徳天皇の姿とまったく合致しません!😅笑

 

はい。公式HPの見解とは異なります。

以下はゆーやんの妄想の世界です♪😆

 

〜〜〜ゆーやんの妄想ワールド〜〜〜

『稲作に必要な水田を作るには水路の確保が必要です。

でこぼこな土地を平らにして水田を作りそこに水路を引く必要があります。

平らにしたり水路を掘ったりすると大量の土砂が出ます。

機会もトラックもない時代にこの土砂をどこに持っていったのでしょうか❓❓

 

そうです。

崩れないように計画的に盛り土を作ったのです。

万一崩れても大丈夫なように周りに堀も作って。

今でも日本は大雨が降ると河川が氾濫します。

治水工事がされていない古代なら尚更です。

高く盛られた盛り土は河川が氾濫して水が溢れた時に格好の避難場所になります。

 

水田を作るには大掛かりな土木工事が必要です。

古代の天皇を中心とした政権が人々と一緒になってこの土木工事を担ってきたのです。

その結果出来たのが今、古墳と言われているものです。そこに人々から慕われた為政者や実力者が埋葬されたこともあったと思います。

誰のお墓か分かっていない古墳が多くあるのもこう考えると説明が付きます。

土地の開墾が終わると共に古墳の時代は終わりました。

古墳時代以降、古墳がまったく作られなくなった理由はこれで説明が付きます。』

〜〜〜ゆーやんの妄想ワールド終了〜〜〜

 

以上、ゆーやんの妄想ワールドでした♪😊

異論は多々あると思います!笑

 

古墳の話を持ち出したのは、

古代の天皇は国民が豊かな生活を実現するために、みんなと一緒に頑張ってきたということを伝えたかったからです😊

 

天皇家の成り立ちや仁徳天皇の逸話、古墳の話から分かることは天皇は民を豊かにする存在だということです😊

ということは、欧米の王が国民を支配し半ば搾取するような感覚とは明らかに違うことが分かると思います。

 

皆さんが働いている会社に置き換えると分かりやすいかも知れませんね😊

『社員を管理し、こき使う社長』と『社員のためを考えて身を粉にして一緒に頑張る社長』

一緒に頑張る社長がいたら自分ももっと頑張ろう!となりますよね?!(^^)

 

多少の語弊があるかも知れませんが、日本の天皇は元々はこんな感じです😌

一緒に豊かにしようとする存在なので、刃向かったり取って代わろうとする人がいなかったのです😊

 

このような古代の天皇の在り方から、天皇の権威を借りて統治権を任命されたものが天皇の代わりに『民を豊かにする政治を行う』ようになったというのが戦前まで続く日本の統治の在り方です。

 

こうして世界でも類を見ないほど長く続く皇族の歴史へと繋がってきました😊

 

天皇家の歴史から古墳の話まで紆余曲折しましたが、現代の日本の会社組織でも長く繁栄しているところは、社員の幸せや自己実現に焦点を充てていたり、ワンマン経営ではなく後進に道を譲って任せていたりする組織が多いように思います😌

 

ゆーやんも今は会社組織の人間なのですが、ゆくゆくはもっと活躍の場を広げていきたいと思っているので日本の歴史から学んで実践していこうと思います♪😆

こんなことを感じた天皇誕生日でした♪🎌

 

昨日からの続きで長くなりましたが、今日はここまで。

歴史の話がメインになったので違う意見もあるのを承知で書きましたが、ゆーやんなりの一つの解釈として受け取って頂ければと思います♪

 

最後までお読み頂いてありがとうございました😊